「何を喜ぶのか」  03−10−05
            ルカ10:17〜24

 その日、主イエスから伝道のために送り出された人たちが、喜んで帰って
来ました。送り出された先で、順調に事が進んだからでした(17節)。
主イエスもその時、喜びに溢れておられました(21〜22節)。しかしそれは、
彼らが順調に事を運べたからではありません。本当は、子である主イエスにしか
知ることのできない父なる神のことを、彼らも知った。そして、神を知る者として
過ごしてきた。そのことに、喜び溢れておられるのです。
「神さまを知る者として生きる」というのは、順調に事が運ぶこと以上の、大きな
幸いなのです。また、主が喜び溢れることなのです。

 エレミヤは、神さまを知ることを大きな希望として語った預言者です
(エレミヤ31:33〜34)。罪によって神さまのことがわからなくなった人間の陥る
不安や混乱を、エレミヤは痛感していました。しかし、罪を赦され、「あなたは、
わたしの民であり、わたしのものだ」と語ってくださる神さまを知って生きられる
時が来ることを預言していました。そして、その時が来たことを主イエスは見抜き、
喜んでおられるのです。

 神を知るというのは、神さまからのこの語りかけを繰り返して聴きながら
生きられる、ということです。神さま抜きで生きなければならないというのではなく、
神さまに支えられて、励まされて、一緒に生きられることです。それによって、
人は本当に人として、健やかに生きることが可能になります。
神さまを知ることは、人にとってどうしても必要なことなのです。

 私たちも、その日人々が主のもとに帰って来たのと同じように、
主イエスの前に集い、礼拝を守っています。
 ・劇的な日々を過ごしてきた方。
 ・たくさんの喜びを味わって感謝で一杯の方。
 ・大きな悲しみを体験してきた方。
 ・悩みと悲しみで心が一杯のまま集っている方。

そんな、私たちが過ごしてきた日々の、順調、不調に関わらず、
主が喜びに溢れておられることは変わりません。
「神を知って生きられる」という、人間にとって最大の幸いを与えられた
私たちだからです。